第50回衆議院選挙を終えて
2024年10月27日(日)に
いえ、もう日付を跨いで10月28日(月)深夜になりましたが、今回行われた第50回衆議院選挙の結果が出ました。
私は小選挙区で敗けました。選挙を助けてくれた後援会の皆さまには、時間・労力等様々なものを投げ打って私をお助けいただきましたにも関わらず、私の力不足によりこのような結果になってしまったことを心よりお詫び申し上げます。
結果として、東海ブロックにおいて比例復活を遂げることができ、こうして今議員バッジを付けて2期目を迎えておりますが、党が行った行為、一部派閥が行った行為、それを弾き返すことができなかった自分の力不足…全てに怒りと悔しさを感じています。
しかし、「敗けた」という事実をそのままにしておけば、それはただの事実として残りますが、この経験を元に平素の自分の活動を見つめ直し、次回勝利を得ることで、この「敗けた」という過去が輝き出すものと信じております。
『はいあがろう 「負けたことがある」というのが いつか大きな財産になる』
堂本五郎監督の名言が今胸に刺さります。
まさに青天の霹靂!?総務大臣政務官に就任
それはまさに青天の霹靂でした。選挙後に、四日市市の後援会の方々の元や、企業訪問をしている途中にケータイがなりました。
「橘 慶一郎」
珍しい先輩からの電話だったので、「はーい」と軽いノリで出ました。
た:「内閣官房副長官の橘 慶一郎です」(そういえば、内閣官房副長官だった)
ひ:「あー、お疲れ様です!」
た:「この度川崎さんには『総務大臣政務官』をお引き受けいただきたいと思います。よろしくお願いします。」
ひ:「え?あ?はい…」(有無を言わせない雰囲気でした)
あっさり電話が切られたので、具体的な担務は何か、副大臣や他の政務官は誰かなど全く聞けずでした。
すぐに妻・父・母・政策秘書に連絡し就任の旨を伝えました。
妻は何のことだかわからず「それって大変なの?大丈夫?」と不安がっていました。
父はいつもの通りぶっきらぼうに「おー」とだけいい、母は喜びの絵文字満載の誰よりも若々しいLINEを送ってくれました。
正直申し上げれば、国のために地元のためにより一層深く政策に関われる喜びと、中々地元に戻れないのではないかという敗け政治家の思いが交錯し、その日の夜は眠れませんでした。
皮肉ですよね。国を地元を良くするために国会で働く権利をいただいたのに…
夜9時の官邸
11月13日(水)、夜9時に官邸に来るようにと連絡をいただきました。夜9時?奇しくも地元・鈴鹿から来客があったのですがお断りをせざるを得ませんでした。ごめんなさい。官邸に伺うと、そこには多くの同期がいました。そして同じ地元選出の参議院議員山本さちこさんも。そう。今回多くの仲間が落選し、政務官人事は我々の代で行うしかなかったこともこうして就任できた一つの要因だろうと思います。
待合室で同期の古川直季総務大臣政務官と
官邸にて集合写真
政務官就任式
そして翌日11月14日(木)に、総務省に着任しました。総務省幹部をはじめ、多くの職員に見守られながら新旧交代式が挙行されました。
新旧交代式でご挨拶
業務所掌範囲は
総務省の業務範囲は多岐に渡ります!それゆえ政務官3人(古川直季、長谷川英晴、私)で業務分担を行います。私が担うものは「情報通信」「放送」「郵政」となります。いずれも私が初当選以来3年間、党で携わってきた業務ですので地の利があります。(むしろ、自分たちで書いた提言が、今まさに自分に乗っかってきた感じです💦)
その上で、2025年の総務省の重点施策がこちらになります。
私が関わる内容を番号で言うと1,5,8,9,10,11,12,13,15,16,17,18というところですね。多い!
2025年総務省重点政策
これらの政策は本当にこれまで党と政府で一体となって作ってきたものなので、これらを実行する側にこの度まわれたことは大変感慨深いものがあります。
しっかり公務をやりつつ、次回の選挙でしっかり勝てるように頑張ってまいります。
Comments