【毎週ヒデトーク】なぜ「刑が軽い」と感じるのか?犯罪と罰の“ズレ”の正体と、デジタルが変える「安全」の未来
- anymama0274
- 11 分前
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この記事は、stand.fmにて配信している
「川崎ひでとの【ひでトーク】」を 生成AIを用いて要約したものです。
また、この放送のMCは
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MCの皆さんとは業務委託という形で、
しっかりお仕事としてご一緒させていただいています。
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皆さん、こんにちは。衆議院議員の川崎ひでとです。この収録を行っているのは、秋の気配が漂い始めた9月8日。先週に引き続き、今週もゲストMCに「まっつん」さんをお迎えしてお送りします。
前回の放送では、公園にスターバックスができる仕組み「PFI(民間資金等活用事業)」について、そのメリットや、郵便局の民営化に見る難しさなど、官と民の役割分担についてお話しさせていただきました。
そして今週、まっつんさんから投げかけられたのは、非常に鋭く、多くの国民が日々のニュースを見て感じているであろう、切実な問いでした。「最近、特に女性を狙った犯罪や事件をよく目にします。それなのに、ネットニュースのコメントなどを見ていると、どうも被害者が守られるよりも、加害者の人権が大事にされているように感じてしまう。『刑が軽すぎる』という声も多いです。この状況は、なぜなかなか変わらないのでしょうか?もっと厳しくするなど、変えていくことはできないのでしょうか?」
これは、ただの「感想」ではありません。私たちが暮らす社会の「安全」と「正義」のあり方に関する、根本的な問いです。なぜ、私たちの「国民感情」と、実際の「判決」との間に、“ズレ”が生まれることがあるのか。そして、犯罪を「罰する」ことだけが、本当に安全な社会への唯一の道なのか。今回は、「罰則」という法律の話と、犯罪や事故を「予防」するテクノロジーの話、この両面から、日本の「安全」の未来について、まっつんさんと一緒に深く掘り下げていきたいと思います。
なぜ、私たちは「刑が軽い」と感じてしまうのか?
まっつんさんがおっしゃる通り、世論、特にインターネット上では「加害者が守られすぎている」「刑罰が軽すぎる」という義憤に満ちた声を頻繁に目にします。この感覚は、私たちが持つごく自然な正義感の表れでしょう。 では、なぜそうした国民感情とは裏腹に、「軽い」と感じる判決が下されることがあるのでしょうか。これには、司法の世界が持つ、いくつかの構造的な理由が存在します。
1. 「判例(前例)」という名の“重力”
まず、裁判官が判決を下す際、そして検察官が「求刑(これくらいの刑罰にしてくださいと要求すること)」を行う際、最も重視するものの一つが、「過去の判例(類似事件での過去の判決例)」です。
社会の感覚が「もっと厳しく罰するべきだ」と変化していても、司法の世界では、過去の基準から大きく逸脱した判断をすることが非常に難しいのです。良くも悪くも「前例」に強く縛られる。これが、国民感情とのズレを生む一つ目の大きな要因です。
2. 報道されない「加害者の事情」
二つ目に、私たちがニュースを通じて知る情報は、事件のすべてではありません。実際の裁判では、私たちが知ることのない、加害者の精神状態や、その犯罪行為に至ってしまった複雑な背景、生育歴といった様々な事情が、証拠として提出され、考慮されます。
もちろん、それによって被害者の苦しみが癒えるわけでは決してありません。しかし、裁判所は法律に基づき、そうした「情状酌量の余地」もすべて天秤にかけた上で、最終的な刑の重さを判断しなければならないのです。
3. 複雑化・細分化しすぎた「法律」の壁
そして三つ目。これは私たち政治家の問題でもありますが、時代に合わせて犯罪が多様化し、それに対応するために法律も細かく分類されすぎた結果、かえって判断が難しくなっている側面があります。
例えば、最近の法改正で「相手の許可なくキスする」といった行為も罰則の対象となりましたが、では、その行為が、既存の「わいせつ罪」や「強要罪」、あるいは「レイプ」といった犯罪と比べて、どの程度の重さなのか。
新しい犯罪類型が増えるたびに、これまでの法律の“ものさし”とどうバランスを取るのか、「場合分け」が非常に複雑化してしまっているのです。
「罰則」だけで人は止まれるか?「予防」するテクノロジーの可能性
刑罰の本来の目的は、罪を犯した人への「戒め」であると同時に、それを見ることで他の人が「犯罪を起こすのを思いとどまらせる」という、「予防」の効果にあります。
しかし、現実には、罰則を強化するだけでは、犯罪や事故はゼロになりません。「スマホの“ながら運転”」が厳罰化されても、いまだにスマホを見ながら自転車に乗っている人がいるように、法律だけですべての人を制御するのは、残念ながら理想論です。
そこで、私たちが今、政治の世界で本気で議論しているのが、「デジタルの力で、そもそも犯罪や事故が起きにくい社会システムを作る」というアプローチです。まっつんさんからも、「飲酒運転をなくすために、アルコールを感知しないとエンジンがかからない車を作れないのか?」という素晴らしいご提案がありました。まさに、その通りだと思います。
技術的には可能でしょう。トラックドライバーの方々は、すでに出勤時にアルコールチェッカーを使っています。これを車に標準装備することはできるはずです。ただし、そこには必ず「コスト」の問題がつきまといます。その装置を付けることで、車の値段が上がってしまう。その負担を誰がするのか、という現実的な壁に突き当たります。
しかし、技術は私たちが思う以上に進歩しています。コストをかけずとも、私たちの安全性を飛躍的に高めるイノベーションが、すぐそこまで来ているのです。
「データ」が命を守る未来 ― スマートリングとシンガポール事例
その鍵を握るのが、私たちが身につける「ウェアラブルデバイス」、例えばスマートリング(指輪型の端末)です。今、大きな社会問題となっているのが、トラックドライバーの過重労働です。かつては「走った分だけ稼げる」という魅力もありましたが 、実際には、長時間同じ姿勢で運転し続けることで血流が滞り、命を落とすリスクが非常に高い過酷な労働でした。
そこで「働き方改革」が導入され、運転時間に強制的な上限が設けられました。しかし、この「一律の時間規制」にも問題があります。体力は人それぞれ違うからです。
ここでデジタルの出番です。もし、すべてのドライバーがスマートリングを装着し、本人の睡眠時間、血色、さらには呼気に含まれるアルコールの有無までが、リアルタイムで会社にデータとして送信されたらどうでしょう。
「君は昨日4時間しか寝ていない。顔色も悪い。だから今日は運転禁止だ」。
このように、上司の「勘」ではなく、客観的な「データ」に基づいて、事故を未然に防ぐ管理が可能になります。
これは夢物語ではありません。
私が先日訪れたシンガポールのある施設では、まさにこれが現実になっていました。従業員全員がスマートリングを装着し、フロアごとにストレスレベルを計測していたのです。その結果、「エアコンがガンガンに効いた部屋」よりも、「窓が開いていて、自然の風が通る部屋」で働く従業員の方が、ストレスレベルが低く、仕事のパフォーマンスが上がることがデータで判明しました。そして、会社は即座に、自然の風が通るフロアを増やすという意思決定を下したのです。
これからの世の中は、間違いなく「データ」が動かします。この技術が車と連動すれば、「ドライバーが疲れているから、エンジンがかからない」といった制御も、技術的には十分に可能になるでしょう。
「自動運転」と「空飛ぶクルマ」― 政治が描く、未来のロードマップ
こうした「事故ゼロ」社会の切り札として、私たち政治家が今、国家戦略として推し進めているのが「自動運転」です。
この分野は、残念ながらアメリカと中国に先行を許してしまっています 。その遅れを取り戻すべく、今、経済産業省、国土交通省、そして私が所属していた総務省が省庁の垣根を越えてチームを組み、自動車会社や大学教授も巻き込んで、日本での社会実装を一気に加速させようと動いています。
もちろん、私の地元のような、田舎の狭い畦道(あぜみち)をセンサーだらけで走るのは難しいかもしれませんが、まずは高速道路に「自動運転専用レーン」を作るといった形から、実現は必ず可能だと考えています。
この自動運転は、「電気自動車(EV)」と非常に相性が良い技術です。しかし、ここでまた日本の「現実」が立ちはだかります。ホンダさんなどはEV化にかじを切っていますが、これだけガソリンスタンドが隅々まで整備された日本で、すべてをEVに置き換えるのは、本当にもったいないのではないか、という視点です。
さらに大きな問題は「海外戦略」です。日本の人口は減り続け、国内の自動車市場は縮小していきます。日本の自動車産業が生き残るには、海外で売るしかありません。しかし、アジアやアフリカの、充電インフラが全く整備されていない国々で、どうやってEVを売るのか。この明確な戦略なしに、ただEV化を進めることには大きなリスクが伴います。
そして、その先に見据えているのが「空飛ぶクルマ」です。これもSFの話ではなく、スカイドライブ社(SkyDrive)のような日本のスタートアップ企業が、素晴らしい技術で開発を進めています。しかし、ここには「安全」という最大の壁があります。無数のクルマが空を飛び交った時、一体誰が、どうやって交通整理をするのか。この制御(コントロール)の問
題が、技術的な最大の難関です。
法律(罰則)と技術(予防)の「両輪」で進む
まっつんさんが提起してくださった、「刑が軽いのではないか」という国民の素朴な疑問。
その違和感の背景には、司法が「前例」を重んじる構造や、法律が複雑化しすぎた現実があります。そして、犯罪や事故を「罰則」だけで防ぐことの限界も見えてきました。
だからこそ、政治には二つの役割が求められています。一つは、犯罪を「罰する」法律そのものを、国民感情や時代の変化に合わせて常に見直し続けること。
そしてもう一つは、スマートリングや自動運転のような「予防」技術を、コストや安全性の問題をクリアしながら、いかに早く社会に実装していくか、その道筋を整備することです。
法律(罰則)と、技術(予防)。この両輪を力強く前に進めることこそが、これからの政治家の最も重要な仕事だと、私は信じています。そして、その法律を作る「私たち政治家」と、それを運用し人を裁く「司法(裁判所)」、捜査する「行政(検察)」は、それぞれが独立している(三権分立)ため、連携しているわけではないという難しさもあります。
例えば、私の先輩議員で、岡山県選出の山下貴司先生は、元々検察庁の特捜部にいた、まさに「捜査のプロ」です。そんな方が法務大臣になられた時は、法律を作る側と運用する側の両方を深く理解されているわけで、本当に凄みがありました。
このように、様々な知見を政治の世界に取り入れながら、法律と技術の両面から、皆さんが本当に「安全だ」と実感できる社会を目指し、これからも全力で取り組んでまいります。
まっつんさん、今週も本質的な議論にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。










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