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【アップデート・ログ】#2017年の私 (Voicy Weeklyテーマ)

11 分前
読了時間: 9分

【2017年の私】ドコモを辞めた翌日から始まった、後援会ゼロの選挙


この記事は、音声配信「川崎ひでとのアップデート・ログ」をAIで要約したものです。

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■ はじめに──重りをつけて歩きながら、10年前を振り返る


おはようございます、川崎ひでとです。


今朝は赤坂の議員宿舎から六本木方面へ、ウォーキングをしながら収録しました。両足に重りをつけて歩いているので、途中で息が切れていたかもしれません。そこはどうかご容赦ください。


今回は久しぶりに、Voicyの「ウィークリーテーマ」を取り上げます。Voicyでは、パーソナリティが配信のネタに困らないよう、週ごとのテーマと日ごとのテーマを用意してくれています。今週のテーマは「2017年の私」。これが、僕の「話したい欲」をものすごく掻き立てるテーマでした。


というのも、2017年は僕にとって、そして僕の家族にとって、人生の大きな転換点となった年だからです。11年間勤めたNTTドコモを辞め、政治の道を志して三重県に移り住んだ年。そして、父・川崎二郎の最後の選挙が行われた年でもあります。


ちょうど10年前の出来事を、今回は少し長めに振り返ってみたいと思います。


■ 区割り変更──三重県の選挙区が「5」から「4」へ


引っ越しの話をする前に、まずは2017年に三重県の政治で何が起きたのかをお話しさせてください。


この年、衆議院の選挙区の「区割り変更」がありました。皆さんも「一票の格差」という言葉はご存じだと思います。小選挙区は有権者の数をもとに線引きされるため、人口が減っている地域では、選挙区の数そのものが見直されることになります。全国で小選挙区を減らす見直しが行われるなかで、三重県も人口減少のスピードを踏まえると「5つの選挙区は多い」と判断され、5区から4区へと再編されたのです。


当時、父の選挙区は旧・三重1区。伊賀市、名張市、そして県庁所在地である津市の3市で構成されていました。ところが区割り変更によって、最も人口の多い津市が選挙区から外れ、代わりに亀山市、鈴鹿市、そして四日市市の南部が加わるという、なんとも不思議な形の新しい三重2区が生まれました。


父にとっては、相当なショックだったと思います。約40年にわたって政治家を務めてきた父には、津市にもしっかりとした後援会がありました。その津市が、ある日突然、選挙区から切り離されたのです。


父も泣きました。母も泣きました。そして何より、これまで父を支え続けてくれた後援会の皆さんが泣きました。「川崎二郎のためにここまで頑張ってきたのに、もう応援できなくなるのか」──そんな声を、僕は今でも覚えています。区割り変更は、地図の線が一本変わるだけの話ではありません。何十年も積み重ねてきた人と人とのつながりが、制度の都合で分断されてしまう出来事なのだと、このとき痛感しました。


■ 「来月、会社を辞めて戻ってこい」


区割り変更が決まったのは、記憶では6月か7月ごろだったと思います。そして、そこからほどなくして、9月末には解散・総選挙へと突入していきます。新しい選挙区の態勢が何も整っていないなかで、いきなり選挙が始まったのです。


まさにそのタイミングで、僕はドコモを辞め、地元・三重県の鈴鹿市へ引っ越すことになりました。三重は地元ですが、鈴鹿市はそれまで一度も足を踏み入れたことのない街でした。


実は2015年か2016年ごろから、父には「政治の道に進みたい」という話をしていました。父の返事は「どうするかは、ちょっと考えておくわ」というもの。どういう形になるのだろうと思っていたら、ある日突然、こう言われたのです。


「お前、来月会社辞めて地元に戻ってこい」


来月です。今すぐ辞めて戻ってこい、という話でした。


今振り返ると、本当にそのタイミングしかなかったのだと思います。「会社の皆さんに迷惑をかけられないから、あと4か月ほど働いてから戻ります」──それでは間に合わない時期でした。党内ではなんとなく「近いうちに選挙がある」という空気が流れていて、実際にその通りになりそうだったからです。


■ 7月31日に退職、8月1日にはもう鈴鹿にいた


会社を辞める人の多くは、残っている年次休暇を消化し、給料をもらいながら退職日を迎えるのではないでしょうか。でも僕の場合は違いました。7月31日に会社を辞め、翌日の8月1日には、もう地元に戻っていました。


鈴鹿市で賃貸住宅を借り、そこに住み始めました。もちろん伊賀市には実家があるので、そちらに住むという選択肢もありました。けれども、この広い新選挙区で戦っていくには鈴鹿市にも拠点があった方がいい、というのが父の考えでした。


こうして僕は父の秘書として鈴鹿に入り、政治家としての道を歩み始めることになったのです。


■ 後援会のない選挙──地図もわからず走り回った日々


なにしろ突然の選挙です。鈴鹿市には後援会がありません。四日市市にも、亀山市にもありません。


加えて、この地域はもともと旧民主党が非常に強かった時期があり、自民党の市議会議員の皆さんも決して多くはありませんでした。いざ選挙をやろうとしても、なかなか協力が得られない。協力してもらえたとしても、その力には限りがある。そんな状況でした。


僕自身も、秘書になったばかり。おまけに土地勘がまったくありません。慌てて中古車を一台買ったものの、自分が今、鈴鹿市のどのあたりを走っているのかさえわからない。それでも選挙期間中はとにかくがむしゃらに走り回り、企業を訪ね、歯医者さんを訪ね、薬局を訪ねて、「川崎二郎をお願いします」とひたすら頭を下げ続けました。


後援会のない選挙が、これほどつらいものだとは思いませんでした。どう動けばいいのかもわからない。教えてくれる人もいない。しかも鈴鹿担当の秘書は僕一人だけ。手探りという言葉では足りないほど、何もかもが初めての連続でした。


■ 父の最後の選挙と、僕の悔い


結果として、父の最後の選挙は小選挙区で敗れることになりました。


その責任は、僕にもかなり大きかったと思っています。「あの時こう動けていれば」と思うことは、今ならいくつも出てきます。でも当時は、それがまったくわからなかった。誰に聞けばいいのかもわからなかった。本当につらい選挙でした。


それでも父は比例で復活当選し、なんとか議員バッジをつけ続けることができました。家族として、秘書として、心からほっとしたのを覚えています。


■ 「国会議員には自然と仲間が集まる」は思い込みだった


この選挙で、僕は選挙の過酷さを身をもって知りました。そして、鈴鹿、亀山、四日市に「まずはしっかりと仲間をつくろう」と決心したのも、この選挙の直後です。


それまで僕は、国会議員になれば自然と周りに仲間が集まってくるものだと思っていました。ところが、選挙区が変わった父の周りには、新しい地域で支えてくれる仲間がほとんどいなかった。当然、僕のことを知っている人もいません。一から信頼を積み上げ、仲間づくりをしなければならないのだと、改めて思い知らされました。


政治は、制度や政策だけで動くものではありません。顔の見える関係、困ったときに声をかけ合える関係があってこそ、地域の声を国に届けることができます。その当たり前のことを、僕はこの年に骨身にしみて学びました。


■ お金が足りない──退職金をつぎ込み、妻に怒られた


選挙区が変わると、事務所の態勢づくりも一からやり直しです。事務所を借りる、スタッフを雇う、広報誌をつくる。これを新しい選挙区の5つの市すべてで、くまなくやろうとすると、とにかくお金が足りません。


正直に言うと、僕は「政治家には国からお金がどんどん入ってくるものだ」という甘い考えを持っていました。実際はまったく違いました。政経セミナー(政治資金パーティー)のチケットを買っていただき、その収益を活動資金にして、事務員さんを雇う。寄付のお願いに回る。お金の工面もしなければならないし、仲間づくりもしなければならない。


さらに地元活動として、どこの河川がどうなっているか、道路の状況はどうか、病院の現場は何に困っているか──そうした現場を一つひとつ回って話を伺います。代議士は平日は東京にいるので、その分、秘書が代議士の名代として地元をしっかり回らなければなりません。「秘書の仕事とは、こんなにも大変なものなのか」と、身をもって感じました。もちろん代議士の仕事も大変ですが、それを地元で支える秘書の仕事の重さを、このとき初めて知ったのです。


選挙ではどうしても多くの資金を使います。その直後に新しい事務所を立ち上げたこともあり、事務所のお金はほとんど残っていませんでした。鈴鹿事務所の責任者として、僕は給料を受け取らないという選択をしたこともあります。それどころか、ドコモの退職金もすべて事務所の運営につぎ込みました。


退職金なんて、あっという間になくなりました。そして、妻にはしっかり怒られました。本当に苦しい状況が続いたのが、2017年という年でした。


■ まとめ──あの時、折れなくてよかった


それでも、あの経験があったからこそ、今の自分があると思っています。


今では鈴鹿市にも、四日市市にも、亀山市にも、たくさんの仲間ができました。そして何より、おかげさまで今、三期目の衆議院議員として仕事をさせていただいています。後援会ゼロ、土地勘ゼロ、資金ゼロから始まった鈴鹿での日々を思い出すたびに、支えてくださった皆さんへの感謝が込み上げてきます。


あの時、折れなくて本当によかった。改めてそう感じています。


思い出話をしていると、ついつい長くなってしまいますね。2017年の私は、会社を辞めて政治の道へ踏み出した、人生の大きな転換期でした。


皆さんの2017年は、どんな一年でしたか? ぜひ「2017年の私」を教えてください。それでは、また次回。じゃあね。


■ 今回のハイライト


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✔ ① 区割り変更で、父の選挙区が一変

2017年、三重県の小選挙区は5から4へ再編。父・川崎二郎の地盤だった津市が外れ、亀山・鈴鹿・四日市南部が加わりました。長年支えてくれた後援会の皆さんが涙した出来事でした。


✔ ② 7月31日退職、8月1日には鈴鹿へ

「来月会社を辞めて戻ってこい」の一言で、11年勤めたドコモを退職。翌日には一度も訪れたことのない鈴鹿市に住み、後援会も土地勘もないまま選挙戦に飛び込みました。


✔ ③ 退職金をつぎ込んだ苦しい日々が、今の原点

小選挙区で敗れた悔しさから仲間づくりを決意。給料を受け取らず、退職金も事務所運営に投じた日々があったからこそ、今の自分があります。


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この記事は音声配信「川崎ひでとのアップデート・ログ」(2026年10月14日収録)をAIで文字起こし・構成したものです。

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